インターネットがなかった時代の方が人類は幸せだった説?
1995年頃から急速に普及が始まった「インターネット」ですが、今ではすっかり私たちの生活になくてはならないものになりました。
今や1人1台携帯電話を所持し、誰でも、いつでも、どこからでもインターネットにアクセスできる時代になったのです。
そして、これまでは難しかったようなことも簡単にできるようになりました。
このように、インターネットの普及によって私たちの生活は大きく変わり、より便利になったことは間違いありません。
その一方で、インターネットの登場によって、これまではなかった新しい問題も多く生まれました。
果たして、人類はインターネットの普及によって幸せになったのでしょうか。
今回は考えていきましょう。
インターネットの登場で、私たちの生活はより便利になった。
人類がインターネットを手に入れてから、あらゆることが便利になり、スピードも早くなりました。
例えば、従来は「手紙」を書いて郵送しなければならなかったものが、今では「Eメール」や「メッセージアプリ」で一瞬で地球の反対側にまで送ることができるようになりました。
かつては、ニュースを読むためには「新聞」を購読する必要がありましたが、今では「ニュースアプリ」でいつでも最新のニュースが読むことができます。
何かを調べるためには図書館に行って「文献」を読む必要がありましたが、今では「グーグル」で検索すればあらゆることが一瞬で調べられます。
「通販」で物を買うためには、商品カタログから欲しいものを電話しなければなりませんでしたが、今ではスマホから「アマゾン」を開いてワンタップで買うことができます。
音楽や映画も、「レコード(CD)」や「VHS(DVD)」を買わなければ楽しめなかったものが、今では「ストリーミング(ネット配信)」でいつでも視聴できるようになりました。
ビデオ通話も「衛生通信」を使わなければできませんでしたが、今は「通話アプリ」で無料で楽しむことが可能です。
このように、インターネットの普及によって私たちの生活はより便利なものに変わりました。
インターネットの代償
このように、インターネットの普及で私たちは多くの「便利さ」を手に入れました。
ところが、その代償として失ったものもあります。
私たちがインターネットに常時接続されるようになった結果、子どもたちは学校から家に帰っても友人とのやりとりを続けなければならなくなりました。
従来は「学校」と「家」とでは、「公私の関係」で完全に分断されていたのですが、今では家庭にまで「公」を持ち込むようになったのです。
今の子どもたちは、家に帰っても、「LINE」や「ツイッター」、「インスタグラム」などを通して絶えず友人と繋がり続けています。
これに関連してか、「若者の自殺率」も携帯電話が普及し始めた2000年代から急拡大し、今も増え続けているようです(参考: 絶望の国 日本は世界一「若者自殺者」を量産している)。
21世紀に生まれた「ネットいじめ (Cyber Bullying)」という新しいタイプのいじめは、従来の暴力による身体的ないじめと異なり、目に見えづらく精神的にダメージを与えます。
ネット越しに誹謗中傷された痛みは消えにくく、長い期間潜伏します。
また、目に見える身体の傷と違って、精神の傷は目に見えないため、周りの大人たちもいじめに気づきにくくなったという問題があります。
これらの要因から、精神の限界点を迎えて自殺に至る若者が増えてしまったのかもしれません。
このように、子どもや学生にとっては「インターネットが登場する前の時代」の方が、幸せだったのかもしれません。
ネットに配慮は存在しない?
また、インターネットの普及は「ネットいじめ」以外の弊害も生じさせました。
特定の個人に対するものでなくても、「にちゃんねる」や「ツイッター」、「YouTube」、「ヤフーニュース」のコメント欄に書き込まれた誹謗中傷や偏見を見て傷ついてしまうことはよくあると思います。
リアルの世界であれば、自分と思想の異なる人がいても、その相手を攻撃することは滅多にありません。
しかし、ネットであればその「配慮のリミッター」が解除され、思う存分見知らぬ相手を攻撃することができます。
人間は政治観に関わらず、右か左かのどちらかの思想を持っているため、右寄りの人は左寄りの主義の人を攻撃し、左寄りの人は右寄りの主義の人を攻撃します。
最近もアメリカで白人至上主義とその反対派との抗争がネットを超えてリアルの世界にまで飛び火し、死者が出る事態になりました(参考: トランプ氏批判拡大 白人至上主義、全米で抗議デモ )。
人類はこれまで数千年に渡って、平穏に過ごすための対人コミュニケーションを習得してきました。
ところが、未知の情報伝達手段である「インターネット」の普及スピードがあまりにも早すぎたため、姿が見えない相手とのコミュニケーションの仕方をまだ把握できていないのです。
日本でも、ネット上の殺伐としたコメントを目にする度にいたたまれない気持ちになりますし、いつか大きな暴動に発展しないか心配になります。
この辺りは今後数十年かけて改善されていくのでしょうか。
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最後に
今回は、「インターネットがなかった時代の方が人類は幸せだった?」についてご紹介しました。
もちろん、今更インターネットのない時代に戻ることはできませんし、私自身もインターネット推進派です。
新しいテクノロジーの登場で、これまでなかった問題が生じるのはある種仕方のないことです。
大切なのは、これからどうやって改善していくかということです。
現代の2010年代と、インターネット登場以前の80年代の人類の幸福度を比べると、おそらく前者の方が高かったと思います。
しかしながら、これからインターネットのある快適で満足度の高い世界を実現できれば、80年代よりも良い時代がやってくるのかもしれませんね。